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2011年5月25日水曜日

見たくないもの

見たくないもの、知りたくないものを、見たり、知ったりするのはとても面倒くさい。
目をそらし、耳を塞ぎさえすれば楽に暮らせるなら、誰が見たり聞いたりするだろう。

知りさえすれば考えられるけれど。考えても独りじゃどうにもできないから。

そりゃあそうだ、そりゃあそうだ、かしこい生き方だ。

楽しいのは一番だ。楽なら最高だ。

それで何かあったとき、テレビが腰抜けのせい、賢い人のはずなのに選択を間違ったせい、と言ったってそれはむちゃくちゃだ。自分じゃ何も決めていないのに、と思って言ってるのだろう。

違うのだ。あなたは立派に選択したのだ。

見ない、知らない、考えない、人の後についていく、と。

その結末はもう選べない。

2011年5月20日金曜日

原発事故って、なんだ

原発事故がどうして起こってしまったか。
東電の隠蔽体質とか、学者が御用学者になったからとか、それは金の力だとか、原発村があったとさ、とか。きっともっともっと、直接に原因と言えることはあるんだろう。

それでもなんだか釈然としない。どうして御用学者になったのだ?どうして隠蔽体質があるんだ?どうして札束でほほを打たれたらなびくのだ?もっともっと、根っこに何かあるに違いない。なんだか、まだ追求しきれていない感じがする。

原発事故だけじゃないぞ、隠蔽というならどこの会社もやりかねないぞ。会社だけじゃない、隠したいと思ったら何だって隠したくなるぞ。隠さずに知らせる、ことができなくなるのはなぜだ。どうだ。まだまだ、釈然としないことがあるだろう。

東電を隠蔽だ、嘘つきだ、学者は金に負けた、と批判するのはとりあえず正しい。しかし、根本解決になったとおもったらきっと、まちがい。だって、モグラたたきに過ぎないよ、なぜってまた他で繰り返すに決まっているから。

社会に透明性とフェアネスが普通になるために、解決しなくてはならないものはもっと大きい。